■いたる所に『分離壁』
大越キャスター:「ベツレヘムに近付いてきて、巨大な壁が現れました。イスラエル側とパレスチナ側を隔てる、イスラエル側が建設した巨大な壁です。非常に強固な高い壁です」
しばらく進むと、高速道路の料金所のような所へ。ただ、ここは素通りです。
大越キャスター:「今、エルサレムを出ました。イスラエル側から出るのは比較的スムーズですが、逆にイスラエル側に入るチェックポイントは非常に厳しいらしく、渋滞しています」
とにかく目立つのが壁です。
大越キャスター:「ヨルダン川西岸地区に入ってくると、あらゆるところに高い壁があります。あそこに監視塔がありますね。イスラエル政府は長い間にわたって、パレスチナの人たちの行動を壁によって隔ててきました」
ガザとヨルダン川西岸の2つに分かれているパレスチナ自治区。自治区と言ってもイスラエルの占領下にあり、パレスチナ側の権限が及ぶ地域はわずかです。そして、500キロ近くにわたる分離壁が西岸地区に食い込む形で覆っています。
1967年の第三次中東戦争で、ヨルダン川西岸を占領下に置いたイスラエル。以降、パレスチナ人の家や土地を奪い、ユダヤ人の入植を続けています。国際法違反と批判されながらも、力で抵抗をねじ伏せてきました。
大越キャスター:「イスラエル方向から見た分離壁は、何も書かれていない無機質な壁でしたが、パレスチナの方から見た壁には、色んなメッセージが描かれています。そして、バンクシーが書いた絵ですね。2人の天使が壁を引き裂こうとしている。この残酷な壁を引き裂こうとしています、天使たちが」
■ヨルダン川西岸でも衝突増加
大越キャスター:「ここから先が、ベツレヘムのアイーダ難民キャンプになります。イスラエル建国とともに、住む地を追われたパレスチナの人たちが、ここに難民キャンプを築いて、それが今も70年以上続いています。そして、少年の写真。3年前に13歳でイスラエル兵に撃ち殺されてしまった少年と書かれています。ここで友達と遊んでいたところを撃たれてしまった」
イスラエル軍の脅威に晒され続けてきたパレスチナの人たち。10月のハマスによるイスラエル襲撃以降、状況はさらに悪化しています。イスラエル軍はガザ地区だけでなく、ヨルダン川西岸各地でも作戦を展開。今年殺害された住民の数は22日時点で493人と、記録が始まった2005年以降、最悪となっています。子どもも犠牲を免れていません。
■難民キャンプ 子どもにも変化
大越キャスター:「学校が見えてきました。ここは国連の機関『UNRWA』が運営するアイーダ難民キャンプの学校です。日本で言う小中学生の年齢の子どもたちがいる学校だそうです。ちょっと中にお邪魔してみましょう。ちょうど授業の合間ですかね。子どもたちが沢山います」
学校のすぐ側には、分離壁。常にイスラエル軍に監視されながら、子どもたちは勉強を続けています。この2カ月余りの出来事で、生徒にも変化が起きているといいます。
スクールカウンセラー ラナ・ファラルジェさん:「遅刻する生徒がいるのですが、夜中のイスラエル軍の急襲で眠れないからです。精神的な疲労があります。父親が刑務所にいたり、兄弟が目の前で逮捕されたりするので」
アマルさん(15):「(Q.将来は何になりたいですか)他の国の子どもたちと同じです。大学に行って勉強を続けて、医者になって社会や人の役に立ちたい。(Q.楽しくできてますか)はい。でも困難な時もあって、難民キャンプでは停電も多いし、時々イスラエル軍も来ます」
ヘルミンさん(14):「(Q.どんな社会で暮らしたいですか)他国の子どもと同じように、安全に暮らしたい。もっと良い環境で勉強したい」
■イスラエル軍が殺害 少年の家族は
安全な場所であるべき学校。その目の前の住宅には“殉教者”として、ある少年の絵が描かれています。
大越キャスター:「事件は11月に起きたということです。17歳のムハンマド・アゼイフさんが屋上に上がってきた時に、監視塔からイスラエル軍の狙撃手が撃った銃弾が胸を貫いて、彼は亡くなったそうです」
撃たれた後も、しばらくは息があったといいます。
ムハンマドさんの母 アヤット・アゼイフさん(39):「20分ほど、ムハンマドはうめいていました。救急車はすぐに来ましたが、軍に移動を阻まれていたのです」
屋上には、大学受験を控えていたムハンマドさんの勉強部屋がありました。
ムハンマドさんの弟 アメル・アゼイフさん(14):「ここで勉強していました。ここに銃弾の跡があります。胸から入って、背中まで貫きました。右胸です。背中には、こんな穴が開いていました。(Q.お兄さんとのよい思い出は)ええ、あります。すごく可愛がってくれて、サッカーも一緒にしました」
家族にとって殺される理由は何一つありません。
アヤットさん:「息子は勉強したかっただけなのに殺された。私たちの気持ち分かりますよね」
ムハンマドさんが撃たれた後、イスラエル軍が武器を探しにやってきたといいます。
アヤットさん:「『息子は武器など持っていない。勉強していただけ』と夫が言っても『武器を見たい。家に入りたい』と言い張りました。『本が置いてある部屋を見ればいい』と言ってやりました。そうしたら、電話が床に落ちていて、兵士は私に電話を手渡した後、無言のままでした」
彼らが見つけたのは、ムハンマドさんの携帯電話だけでした。
アヤットさん:「(Q.パレスチナ人とイスラエル人は、いつか平和に共存することができるようになりますか)絶対に無理です。イスラエルは平和を望まず、私たちを圧迫するだけです」
■暮らしの悪化止まらず
イスラエルとパレスチナの大規模な戦闘が始まって以降、街の人々の暮らしはますます悪化しています。実家で両親や親族、そして3人の子どもと暮らすファティマ・アル・モハイセンさん(27)。去年、パレスチナ治安部隊の隊員だった夫が、イスラエル兵に撃たれて亡くなりました。美容院で働き、何とか生計を立てていたのですが…。
ファティマさん:「戦争のせいで店は休業中です。もちろん、子どもたちと生きていくだけでも大変です。(Q.遺族年金は)ありますが不十分です。支出を賄えません」
■葬儀に参加しただけで銃撃も
ガザ地区だけでなく、ヨルダン川西岸でも激化するイスラエル軍の攻撃。ザキ・ザオウリさん(21)はこの日、イスラエル軍に殺害されたいとこの葬儀に参加していたところ、右足を撃たれたといいます。
ザキさん:「葬儀中に45人ほどが負傷した。そんなことをする理由は何もない。葬儀に参列するためにいたのだから」
ザキさんの父 タイセール・ザオウリさん(65):「(Q.イスラエルとの平和共存は難しいか)無理だ。彼らはいつも挑発してくる。いきなり子どもを撃つ必要はないだろう。私は息子が3人いたが、1人は殺され、2人は負傷した」
■キリスト生誕の地 平和への祈り
ベツレヘムは例年、大勢の観光客でにぎわうクリスマスシーズンですが、今年はひっそりとしています。イスラエル軍とハマスの戦闘を受け、お祝いのイベントは中止です。それでも恒例のミサは行われ、平和への祈りが捧げられました。
カトリック教会 ピッツァバッラ エルサレム総大司教:「この戦争で全てを失った人たちがいます。ガザと200万の住民に思いをはせます。政治に触れたくはないですが、言わねばなりません。休戦を語るだけでは不十分です。そもそも私たちは休戦ではなく、戦闘行為が永続的に終わることを望んでいます。暴力が生みだすのは暴力だけです」
■“天井のない監獄”憎しみの連鎖
(Q.週末からパレスチナの人たちを取材して、どのようなことを感じましたか)
大越キャスター:「今起きている戦争は、この地域特有の非常に入り組んだ、複雑な歴史の延長戦上にあるのだということを再認識させられます。私の後ろにあるのが、キリスト教の聖地とされる生誕教会です。反対側にはイスラム教のモスクがあり、伝統的なパレスチナの街が広がっています。このことだけでも、この地域の複雑さが分かっていただけるのではないでしょうか。そもそも、長い歴史のなかで、様々な宗教や民族が交錯してきたのがこの地域です。そこに、第二次世界大戦後、ユダヤ人たちがイスラエルを建国したことで、中東は血なまぐさい紛争地であり続けています。ただ、イスラエルとパレスチナの長い紛争の過程で、ただ一つ、はっきりしてきたことがあります。それは、イスラエル側が、軍事的にも経済的にも、圧倒的な優位に立つようになっているという事実です。イスラエルが作った分離壁の中に押し込められた形のパレスチナ人のなかには、壁の上から銃を構えるイスラエル兵の姿におびえ、爪に火を点すようにして貧しい暮らしをしている人たちが少なくないです」
(Q.これまでも厳しかったパレスチナの人たちの暮らしですが、10月7日以降で変化がありますか)
大越キャスター:「パレスチナ人の困難は10月7日以降、さらに厳しくなっていると言えます。印象的だったのは、UNRWAが運営する学校の教師の話でした。日本で言えば中学生くらいの男の子が『イスラエル側に拘束されることもある』と話していました。親が拘束されるというケースは、それ以上に頻繁に起きていて、不安におちいって眠れなくなったり、暴力的になったりする子が多いということです。一方、ヨルダン川西岸地区の拠点病院となっている市内の救急病院を取材した際、『銃創』つまり銃撃による傷の治療を専門とする医師と会いました。医師はその日だけで14件の手術が入っていて『とても取材を受ける余裕はない』と話していました。代わって答えてくれた病院の責任者は『単に身体を貫通する銃弾ではなく、非常に複雑な傷をつくる弾丸が使われるケースが増えてきた。殺害に至らないまでも、ひざの関節など、治療の難しい部位を狙い撃ちする銃撃が明らかに増えてきた』と話していました。それによって、手術やリハビリに要する時間が非常に長くなったということです。このように、パレスチナ人が直面する困難は、枚挙にいとまがありません」
(Q.生誕教会の総大司教は『暴力の連鎖を止めなければならない』と話していましたが、取材をしていてどう感じましたか)
大越キャスター:「正直、非常に難しいと感じました。まさに、この地域での暴力の連鎖を止めたい、止めなければならないというのは、世界の共通した願いだと言えると思います。しかし、ここベツレヘムで出会った人は、誰一人として楽観的な答えをする人はいませんでした。長い時間インタビューをして、最後に『平和の中で共存する可能性はないのでしょうか』と質問すると、皆一言で『あり得ない』と答えました。なかには『その質問をすること自体が愚かだ』と苦笑いを浮かべる人もいました。長い歴史のなかで積み重なってきた、イスラエルに対するパレスチナ人の憎しみの根深さは、遠く日本から想像していたものをはるかに超えたものでした。それが、パレスチナに来て、私が最も強く感じたことでした。最近も、エジプトなど近隣の国からの一時休戦に向けた働き掛けなどがありましたが、イスラエルのネタニヤフ首相は、強硬姿勢を崩していません」
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