地震で大きな被害を受けた石川・珠洲市に向かった関西の医療チーム。人手も物資も不足し、ギリギリの状況で被災者を支える医療支援に密着しました。
先週金曜日。大阪市にある淀川キリスト教病院。
「道路が半分なかったり、割れていたりするから変な段差とか無理していったら一発でパンクするで」
救急科の部長・夏川知輝医師。大きな災害が起きた時、被災地で医療支援を行う「HuMA(ヒューマ)」のメンバーです。
「すでにうちのチーム行ってるんですけど、たぶんこの災害1ヵ月で落ち着くと思わないので」「前線で戦っている人たちの(物資の)補充というのが今回の僕のミッションかなと思います」
能登半島の先端に位置する、石川県珠洲市。震度6強を観測し、さらに津波が町に押し寄せました。ここにあるヒューマの医療拠点は、道路の寸断などで救援物資がまったく足りていない状況だと言います。
(夏川医師)「慢性的な薬、高血圧とか糖尿病とかの薬を持ち出せず、この3~4日飲めていないということなので、そろそろそれが原因で体悪くなったりするので」
これから本格的な冬を迎える被災地。家を失った人たちは今―
(被災した男性)「一日なので一杯飲んで、おせちを食べていました」「津波があるというのは想定外。甘く見ていた。」
(「HuMA」伊藤裕介医師)「負担を軽減することと地域の皆さんの生活の支えという穴が空いている期間を支えていきたい」
医療現場は何を必要としているのか。避難所を支える、救護所に密着しました。
被災地へ向かう途中。七尾市にある病院から「入院患者のためのおかゆが足りない」という連絡が入りました。
(夏川医師)「行ってる最中に欲しいというメッセージが病院から来ましたとメールが来たので、(被災地に)近くでないところで仕入れて、持って行くのが被災地に迷惑かけないかなと」
刻々と変わっていく、被災地のニーズ。必要なものをできるだけ調達しながら、現地に向かいます。
(夏川医師)「10時間ぐらい経ちましたね。結構かかりましたね」
大阪から約10時間。到着には通常の倍ほどの時間を要しました。
(夏川医師)「お粥が(必要)ということだったので、きょうのお昼に淀川キリスト教病院から800食ほど送ったんですけど、とりあえず200食だけ。足したら1000食になるかと」
七尾市の恵寿総合病院。震度6強の揺れに見舞われながらも被災地の医療拠点となっています。
(恵寿総合病院 神野正博理事長)「七尾から珠洲方面に行くときは穴水というとこまでこの道しかないです。30kmちょっとしかないんですけど、我々の部隊は5~6時間かかってここまで」「サイレン鳴らした救急車も同じような時間」
ここから目的地の珠洲市までは、道路の被害がかなり深刻な状況…。夜間の走行は危険なため七尾市で1泊することになりました。翌朝、被災地は雨。
(夏川医師)「さっき余震があったのと、雨が降っているので(時間が)読めないですね」
七尾市を出たところで、道路状況は一変しました。
(記者リポート)「現在輪島市内を走行中ですが、片側の車線が完全に崩壊してしまっています」
震災から6日目。道路の寸断は徐々に解消され始めているものの、陥没は至る所で見られ、救援物資を運ぶ車両の行く手を阻みます。
(夏川医師)「建物は壊れているし、道は地割れしたり欠損したり、土砂崩れもあって」「必要な医療従事者を含めて支援者が入っていくのが非常に難しい状況だと思います」
通常1時間半ほどの道のり。その4倍の時間をかけて珠洲市に到着しました。
宝立小中学校。約550人が避難生活を送っています。ここ春日野・鵜飼地区は、多くの建物が倒壊し、海岸から400メートル付近まで津波が押し寄せたと言います。
(被災した男性)「津波と言われたので皆さん声かけてすぐ避難するよって。こっちの方は皆さん無事だったので、こっちの方で亡くなった人いますけど」
多くの建物は、手つかずのまま、残されていました。
夏川医師たちは避難所で医療支援を行っているチームに、物資を届けることができました。さらに救急車も残していくといいます。
(夏川医師)「ここの避難所から入院しないといけないとか、救護所で治療を終えられない人が出た場合、救急車を使って送ることができるので、とりあえずこれを一台待機させておいたら救急車来ない来ないとならないので、必要な人を送れるかなと」
(夏川医師)「インフルエンザとノロが各避難所できまってるらしくて」「一応インフルエンザだけ100キットと」
(伊藤医師)「あるの?」
(夏川医師)「あとタミフルを持ってきた。」
(伊藤医師)「感染の部屋は絶対作ったほうがいいからどっか開いているところ」
(夏川医師)「校長先生と相談して」
(伊藤医師)「するわ」
大阪・済生会千里病院で救急科に勤務する伊藤裕介医師。ヒューマのメンバーとして、この避難所に救護所を開設しました。ここは、24時間体制で避難所の「医療施設」の役割を担っています。さらに、伊藤医師は、日に何度も周辺の避難所を回り、被災者の健康管理をしています。
避難所での生活が長引けば長引くほど、積み重なるストレス。健康面にも大きな影響が出てくるといいます。
(伊藤医師)「震災からトイレの状況も悪いし、食べ物も野菜不足で運動も中々できなくて、便が出ないというのが症状で薬がないので下剤を処方させていただきました」
壊滅した町。被災者たちに帰る場所はありません。
日が沈んでまもなく、救護所に被災者がやってきました。
(被災した女性)「履き慣れた靴で避難したんですけど、代わりがなくて・・・」
津波から着の身着のままで逃げたという60代の女性。それ以降、この靴と靴下をはき続けていたといいます。
(津波から避難の女性)「床上の津波があったので、落ち着いたころに様子を見に行ったら戸が無い状態」「ここに(物が)あったねという場所も全く分からなくて泥で」
ここに避難している人たちはみな、昼は仕事や避難所の運営、家の片付けなどをし、
夜になると、この救護所にやってくるそうです。
(伊藤医師)「珠洲市ってめちゃくちゃでかくてこれだけあります。これだけ飛び散った避難所がある」「所々土砂崩れがあって孤立集落がいくつかあります」
珠洲市では、道路の寸断などにより、いまだ7地区495人が孤立状態にあるといいます(8日現在)。
救護所の必要性について伊藤医師はー
「薬が無い状況でかかりつけも無い状況です。負担を軽減することと地域のみなさんの心の支えとなること。最終的には地域の医療機関に繋げていきたいと思いますので」
インフルエンザ、新型コロナ、ノロウイルス。感染症の拡大が懸念されますが、薬や検査キットが圧倒的に不足しています。
元日の穏やかな時間に突然、襲ってきた大地震。発生から2日後、男性の父親が遺体で発見されたと警察から連絡がありました。
(被災した男性)「父親は完全に分からなくなって(他の家族)3人はかろうじて逃げて」「津波があるというのは想定外。ちょっと甘く見ていた。こんなものだと認識不足でした」
被災者はみな体と心に大きな傷を負っています。
これから厳しい北陸の冬がやってきます。家や家族を失った人たちの避難生活に、終わりは見えていません。
(『newsおかえり』2024年1月9日放送分より)