能登半島地震の発生から2週間が経ちました。避難所から宿泊施設に移る「2次避難」が進む一方で、インフラなどの復旧作業の見通しは立っていません。
■ガレキに埋もれた“思い出” 津波で流された夫婦写真
砂まみれの額縁に収められた1枚の写真。海沿いで手をつなぎ、ほほ笑む高齢の2人が映っています。
写真を撮影した孫
「本当におじいちゃんが守ってくれたんだなと感じています」
こう話すのは、この2人の孫で、写真を撮影した男性です。この写真は、景色が一変してしまった町に残された家族の宝物でした。
写真を撮影した孫
「私の家自体は、津波の被害と近所で発生した火災の延焼によって全焼しておりまして。近くを見ていたところ、写真が津波によって流されて、近所にあったというのがきっかけですね」
全焼した自宅の中で、祖母が大切に飾っていたこの写真だけは、見つけることができたといいます。
写真を撮影した孫
「おととし祖父が亡くなって、祖母が大事に自分の部屋で枕元に置いて、一緒に寝ていた。津波が1階のものを全部流してしまって、その際に火災の延焼で(自宅が)燃えていましたので。なので、津波の被害で流されたものについては、燃えずに残っていたのかな」
■「地獄に落とされた」住民 2次避難に複雑な思いも…
多くの人の日常を奪った大地震の発生から2週間。政府や石川県は、孤立集落からの避難を急いでいます。
取材班が向かったのは、14日時点で148人が孤立しているという、周囲が山林に囲まれた輪島市西保地区。水も電気も復旧していないエリアです。
西保小学校には、およそ30人の住民が避難しているということですが、14日から金沢方面に2次避難が始まりました。
何度かに分けて運び、無事51人を避難させることができました。
避難した住民
「(Q.荷物とか置いてきたけど、生活できる?)だけど生きてるもん。生きているならまだ大丈夫ですよ」
一方、避難を巡って、複雑な思いを抱える集落もあります。
2次避難を決定
「1月1日からぷつっと地獄に落とされたみたいに。みんな…どうなったか…分からなくなっちゃって…。生きてるか死んでるか、分からなくなってしまいました」
■“インフラ壊滅”進む2次避難 孤立集落あえて残る30人
輪島市街地から東に直線で15キロの所にある、町野町金蔵地区。インフラが壊滅状態となったため、住民たちが話し合い、高齢者を中心に避難させることを決めました。
「ありがとう。また来るからね。ありがとう」と、名残惜しそうに繰り返された別れのあいさつ。30人の住民は故郷を守り抜くと誓い、集落に残ると決断しました。
集落に残ると決めた 山下祐介さん(37)
「本当に戻って住めるのかという確証がほしい。戻ってきた時に、『戻れるようになりました。電気、ガス、水道が使えるようになりましたよ』って言っても、『壊れた家は自分で直してね』と言われちゃうと。『希望通り、故郷に帰れるようにしたでしょ』って言われちゃうんじゃないかという不安ですよね。これがどうしてもある」
■“大きな道が少ない”半島で起きた地震 国道も陥没
葛藤が渦巻くなか、14日に地震発生後初めて岸田文雄総理大臣が被災地を訪れました。
先の見えない現状。珠洲市では、熊本地震で災害対応にあたった熊本市の職員が、支援活動を行いました。
熊本市危機管理防災部 上村卓也さん
「熊本地震の際の東区や益城町の光景を思い出すと同時に、それ以上とも思える光景を目の当たりにしました」
「(Q.熊本地震と比べてどうでした?)数倍です。かなり深刻」
2016年に起きた熊本地震は、震度7の地震が2度発生。そうした大地震を経験した熊本市の職員の口からも、被災地の深刻な現状が語られました。
救助や支援が難航している理由の一つが、大きな道が少ない半島で起きた地震だったことです。能登の大動脈「国道249号」は、至る所で陥没しています。
地震が来た直後、道路にはヒビが入りました。「道路の寸断」が被災地への支援物資の輸送を妨げています。
自衛隊は陸路が使えないため、ホバークラフトを使って海から重機を輸送しています。
自衛隊などによる昼夜を問わない道路の復旧作業で、通行できる道路は徐々に増えていますが、状況は深刻なままです。
■函館からイカ釣り漁船が…道路寸断「海から支援物資」
イカ釣り漁で有名な能登町小木地区で撮影された写真を見ると、目の前の道路が崩れ、車が海のそばに転落しています。複数の漁船が並んだ対岸の建物を見ると、1階部分が海に沈んでいます。
崩落した道路を振り返ってみると、どこまでも亀裂が走っています。船の前まで来ると、亀裂はさらに大きくなり、今にも崩れ落ちそうな状況です。
こうした事態に、居ても立ってもいられなくなったのが、小木と同じくイカ釣り漁で有名な函館の漁師たちです。
自分たちのイカ釣り漁船に大量の支援物資を積み、500キロほど離れた北海道からはるばる駆け付けたのです。
陸路が寸断され大型トラックによる物資の輸送が難しい今、道路を使わずに大量輸送が可能な船での支援が日本全国から集まり始めています。
愛媛県から船で物資支援
「東日本大震災を私は学生時代に経験して、船乗りとしてできることがあるだろうということで、こういうことを始めた。海は間違いなく日本列島をぐるっと回って、私たちをつないでいる。船に限らず、空であれ陸であれ海であれ、 できることをみんなが一つずつやっていくというのが大事」
(「グッド!モーニング」2024年1月15日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp