発生から10日で10日目を迎えた能登半島地震。死者数は9日時点で200人を超えました。
■輪島朝市で大規模捜索「火事を恨む」
最大震度6強を観測した石川県輪島市。地震による火災で、およそ200棟が被災した観光名所の「輪島朝市」では、焼け焦げた車や折れ曲がったトタン、炭化した建材などが散乱。がれきの上に、うっすらと雪が降り積もります。
死者202人、安否不明者102人となった石川県。県内で最も多い86人の安否不明者がいる輪島市では9日、警察が150人態勢で朝市通り周辺の一斉捜索を始めました。
雨が降りしきる中、現場で捜索を見守っていた85歳の女性。火災で自らの家を焼かれ、知り合い2人の安否が分からなくなっています。
被災した女性
「何も言えません、悲しくて。ただ涙だけ出ます、悲しくてね。本当に火事を恨みます。火事さえなければ、それが一心です」
■車を襲う津波 間一髪…高齢女性を救出
10日で発生から10日目。現場で記録されていた映像から、発生時の様子がさらに明らかになってきました。
輪島市で撮影された映像。付近にいた数人が激しい揺れで立っていられず地面に座り込んでいます。男性は立って逃げようとしますが、まともに歩ける状態ではなかったことが見て取れます。
建物はバキバキと音を立てて崩れ落ち、ガラスの割れる音が鳴り響く現場。一瞬の出来事で、付近の道路にもひびが入り、土砂が斜面に崩れ落ちています。
震度6弱を観測した能登町では、避難する車の前を、杖をついた高齢女性が歩いていたため、運転手の男性が引き返し、声を掛けます。
男性
「何をしているの?避難しないのか?車に乗りな、乗りなって」
女性
「みんなどうしたの?」
男性
「みんなもう上がったよ」
女性を車に乗せ、会話を交わしたまさにその時、車の後方に濁流が一気に押し寄せ、瞬く間に町を覆いつくします。
志賀町の漁港を捉えた映像でも、画面右側から、ものすごいスピードで津波が押し寄せ、岸壁に激しく打ち付ける様子が分かります。
■液状化現象 波打つ道路に…しみ出す泥水
震源から100キロほど離れた内灘町でも被害のすさまじさを物語る映像が記録されていました。
目の前の硬いアスファルトの地面が、波打つように動いています。その後、奥の歩道が割れるようにめくれ上がり、崩れていきます。
手前の敷地内では、地面に次々と亀裂が入ります。さらに、画面左にある電柱も車道側に大きく傾いていきます。
地震発生からおよそ4分後。車道から泥水がしみ出してきました。奥の道路からも次々と茶色い水があふれ出し、車道に広がっていきます。
別のカメラにも、泥水があふれ出す様子が捉えられていました。
株式会社宮前建設 金田稔治さん
「地盤がせりあがってしまったので。向こうが沈んで、こっちが上がったみたいな感じで。建物ごと20センチほど移動してしまって」
町の中を取材すると、家や電柱が傾き地面が隆起していたり、道路が電柱や看板と同じように斜めになっています。
液状化現象とみられる深刻な被害が至る所に…。地面から5メートルぐらいの高さだった信号機は、手が届きそうな位置にまで沈み込んでしまっています。
ある住宅はドアが完全になくなっています。そしてブルーシートが代わりにつけられてる状態です。
内灘町に60年住む 鍛原恵夫さん(77)
「もうここは出られなくなったから、ドアはガターン」
「(Q.落ちちゃった?)うん」
ドアは外れ、現在は寒さをしのぐため、ふすまとブルーシートで応急措置。室内も風呂場にひびが入り、家は床に置いたゴルフボールが転がるほど傾いています。取材中にも…。
妻
「(Q.揺れてる?)ちょっと嫌よ。なんか神経質になるね。びくびくしてるよ、いつも」
部屋には家族や親戚と撮った写真が飾ってあります。60年間の家族との思い出が詰まった大切な家です。
夫
「(Q.家は今後建て直す予定?)いえいえ。ここではもう無理だと思う」
この土地を離れ生活する予定だといいますが、それでも、また戻ってきたい思いもあるといいます。
夫
「もうほんとに小さな一戸建ての平屋を建てられればいいなと」
妻
「夢はね」
夫
「ここに。いいなとは思うんやけどね。やっぱり離れたくないわね」
■珠洲市の孤立地区へ…ヘリで支援
能登半島の先端に位置し、これまでに91人の死亡が確認されている石川県珠洲市。町の至る所に傾いた電柱があり、雪が降り積もった、全壊した家屋も目立ちます。
市街地にある避難所には支援物資が届く一方、支援が難しい地域もあります。
9日、ヘリコプターで珠洲市の孤立地区に医療支援に入った自衛隊。避難所では200人以上の住民が身を寄せ合っています。
避難所の責任者 川端孝さん
「発熱者も出たりしているので、感染させないような注意を払いながら、発熱があった方は別の階に隔離するという形で。集団感染だけは気を付けながらやっております」
ヘリを使った支援は、自衛隊だけではありません。
孤立状態の地区に支援物資と医療の提供を行っている「アローズ」。これまでも東日本大震災や熊本地震の被災地で活動してきました。
この日に訪れたのは、珠洲市の北側沿岸に位置する地区。およそ50人が身を寄せる避難所には、せきや発熱などの不調を訴える被災者が多かったため、早速、診察を始めます。
医師
「その時、胸が苦しかったんですか?この辺も痛くなりましたか?この辺とかこういう所」
被災者
「この辺は痛くなっていません」
医師
「この辺は痛くなかった」
「あったかい所から寒い所にあんまり急に出たりするとキューと来ることがあるから、だんだんにね、徐々にする方がいい」
空飛ぶ捜索医療団「アローズ」 稲葉基高医師
「診察の後のホッとした顔を見ると、こちらの方がかえって癒やされるような感じでした。来て良かったなと本当に思います」
■無休で対応 高齢者施設ならではの問題も
珠洲市内の高齢者施設には、デイサービスの利用者も身を寄せていて、入居者と合わせて110人ほどが生活しています。
仮設の発電機だけが頼り。使える電力は限られています。寒さの中、暖房はストーブ10台ほどで賄っているといいますが…。
長寿園 生活相談員 竹平佳代さん
「110名の方、入所者の方、利用者の方いますので、10台じゃ全然足りないです」
この施設で20年働く生活相談員の竹平さん。地震が発生した1日も勤務中でした。
竹平さん
「車椅子に座っている方を私当時抑えたんですけど、一緒にひっくり返るんじゃないかっていうくらいすごかったです。とりあえず守らないといけないっていうので必死でしたね」
それから10日まで休まず、10日間にわたって住み込みで対応にあたっているといいます。
竹平さん
「どう、揺れるのこわないけ?」
入居者の女性
「みんな怖いのは一緒だからね」
竹平さん
「もうちょっと頑張らんとね」
発生当初に比べ、食料も届いていますが、高齢者施設ならではの問題がありました。
竹平さん
「高齢者ってなると、ちょっと難しい形状の食べ物が多いですね。ありがたいんですけど、物資は一気に届き始めたので。それをどうお年寄りさんに使っていくかっていうのが、たぶんこういう施設は大変なのかなと思います」
支給された食料を食べやすい形に加工する必要がありますが、ミキサーなどに使う電力も限られているため、頭を悩ませています。
避難者の対応にかかりっきりの竹平さん。震災後、まだ家族にも会えていないといいます。
竹平さん
「子ども4人いるんですけど、夫の実家にお正月だから行ってたので、子どもの声も10日以上聞いてないですし」
家族に会ったのは去年の12月30日が最後。安否は確認できていますが、珠洲市内の孤立地域にいて、電波状況も悪く、電話で声も聞けていない状況だといいます。
竹平さん
「先が見えれば、それに向かってみんな頑張れるんですけど、先が見えないので。きついですね。いつまでって言われても、誰も分からないので」
■老舗和菓子店が菓子を配布「故郷大事に」
先の見えない不安の中、少しでも前を向こうという人の姿もありました。
明治43年創業の老舗和菓子店「中浦屋」。輪島朝市にあった店舗の1つは全焼してしまいましたが、他の店舗で無事だった在庫のお菓子を避難所などで無料配布しています。
柚餅子総本家中浦屋 中浦政克社長
「すべての商品、賞味期限がある間に配布してしまう。みなさんに召し上がっていただく。ということですね」
9日はお正月用に用意していた、柚子もなかや餅などをトラックに積んで出発。変わり果てた街を進みます。道中で子どもたちを見つけると…。
中浦社長
「お菓子あげる、お菓子」
お菓子をもらった子
「ありがとうございます」
「ありがとう」
中浦社長
「スナック菓子みたいなやつばっかりで、飽きてきとるもんね」
お父さん
「おなかいっぱいにならんようで、食べきっちゃうんで」
お菓子をもらった子
「ありがとうございます」
避難所に到着すると、箱いっぱいに詰められたお菓子を運んでいきます。
中浦社長
「非常にうれしそうにしていただいて、私も良かったなと。お正月に販売されるはずだったお菓子たちもすごく喜んでいるんじゃないかなと思います」
製造工場も大きな被害を受け、営業再開のめどは立っていませんが、「老舗の伝統を必ずつないでいく」と語ります。
中浦社長
「生まれ育った故郷ですから、大事にする意味で。これまで通りとは行きませんけど、ここで居を構えて事業を進めていくということは続けていきたいと思ってます」
(「羽鳥慎一 モーニングショー」2024年1月10日放送分より)
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