前例なき3期目の習近平体制。覇権拡大に台湾問題と世界で存在感とともに懸念も高まる中国。その中国を見続けた前駐中国日本大使・垂秀夫氏が生出演です。垂氏は、約3年間の赴任を終え、19日に退任しました。
“物言う大使”の垂氏。40年近い外交人生のほとんどを中国に費やし、広い人脈と情報収集能力から“中国が最も警戒する人物”と言われました。その鋭い中国観は、日中関係の概念をも変えました。
2006年。冷え込んだ両国関係の打開のため、安倍政権が打ち出した『戦略的互恵関係』。この言葉の生みの親こそ垂氏でした。
大使在任中、日中関係は、福島原発の処理水問題などで、さらに悪化。改善が進まないなか、垂氏は10月、中国の要人たちへ、この言葉を投げ掛けました。
垂秀夫駐中国大使(10月):「“戦略的思考”をもって、日中関係を捉え直す」
この言葉を聞いて、真っ先に駆け付けたのは、外交トップの王毅外相でした。
垂秀夫駐中国大使(当時):「(王毅外相が)『ぜひ、戦略的互恵関係を再構築しよう』と」
◆間近で見た“習近平体制”とは
世界で存在感を増し続ける中国。日本はどう向き合うべきなのでしょうか。垂秀夫氏に聞きます。
(Q.異例の3期目という長期政権になっていますが、習近平氏はどのような人物なのでしょうか)
垂氏:「私が最初に習近平主席と出会ったのは2009年の12月。当時、副主席で、訪日されました。私は、中国課長だったので、受け入れの責任者でした。第一印象は、極めて謙虚な方だという印象がありました。総理官邸で行われたレセプションで、あいさつをしにテーブルを回りましたが、私が案内して、ずっと回ったのですが、一人ひとりにとても丁寧で、若干、時間をオーバーしてるぐらいだったんですが、非常に丁寧にお話しされている姿を今でもよく覚えております。その後、2015年に、当時、総務会長だった二階先生に同行して、私は安倍総理の親書を持って、習主席ともう1度会うことがあったのですが、その時は、もうすでに遠い存在というか、近寄り難い。警備が非常に厳しくなり、そういう存在になっていました。大使になった後は、それがより明確になったという印象です」
(Q.近寄り難くなってしまった習主席が率いる中国は、それ以前の中国と何が決定的に違いますか)
垂氏:「政治システムは、中国は何も変わっていないように見えますが、実は、大きな変化というか、常に変わっています。昔は、1党支配体制でしたが、今は習主席による1人支配体制と言えるかと思います。警備も非常に厳しい状況になっていると思います」
(Q.習主席は、何を大事にしていますか)
垂氏:「中国を見るうえで、少し見間違っている部分があります。まだ“トウ小平中国”ということを前提に、中国を見ていることが多い。経済発展あるいは経済成長が最も大事である。こういう中国を前提として中国を見ようとしている。ところが、習主席は、経済成長も非常に大事なのですが、より高い、より優位なプライオリティー、国家目標がある意味で変わった。それは国家の安全と言えるかと思います。ただ、中国の国家の安全は、中国語で言えば『相対的安全感』と言われています。単なるナショナルディフェンス、いわゆる国防だけではなく、エネルギー・食料・経済産業とか、生態環境まで含まれるような多岐にわたるようなものが、中国の言う国家の安全。これが、今やすべてを凌駕するというふうに大きく変わりました」
(Q.何か象徴する事例はありますか)
垂氏:「中国は、今年の3月の全人代以降、経済があまりよくありません。日本からの投資を非常に期待しています。地方政府からひと月、約50の投資ミッション、日本からの投資を求めるようなミッションが日本に来ています。ところが『では投資しようか』となっても、視察団を出そうとしても、日本から中国へのビザがなかなか取れない。ビザを取るためのフォーマットを書かないといけない。それは、例えば、何代も前の昔の上司の電話番号まで書かないといけない。それはなぜかというと、スパイの侵入の防止。国家の安全。さらに高いプライオリティー、そちらのほうが優先することになります。それから反スパイ法の強化ということもあって、結局は、矛盾した政策のように見える状況になっていると言えます」
◆中国と日本の“思考の違い”と“向き合い方”
(Q.中国と日本では「思考の違いがある」ということですが、その違いは何ですか)
垂氏:「問題対処へのアプローチは、中国人と日本人で大きく異なります。近代史の中でも常にこの問題があったと思いますが、中国がまず重視するのは『マクロなフレームワーク』。国家の位置付けが大事になります。日本の場合は『ミクロ』『個別問題』。具体的な問題の解決・処理が大事になってきます。首脳会談が開かれても、日本の場合は個別の問題が解決されたかが問われます。中国の場合は、まず大きなフレームワーク・位置付けがセットされたうえで、具体的な問題に入っていけると。それがないままでは、日本が強く求めたとしても、中国は応じてこようとしません。我々も中国のアプローチをよく理解したうえで、問題の対処を図っていく必要があると思います。それが例えば、戦略的互恵関係。日中の位置付けとして、大きなフレームワークを決めたうえで、具体的な問題につなげていくことになるかと思います」
改めて『戦略的互恵関係』とは、個々の問題に終始するだけではなく、共通の戦略的利益のため、粘り強く意思疎通を強め、日中関係の安定を図っていくことです。2006年、第1次安倍内閣の発足を前に、当時の外務事務次官からの指示で垂さんが考案しました。その後、日中首脳会談において、当時の安倍総理が胡錦涛国家主席に提起されました。先月、サンフランシスコで行われた首脳会談では、6年ぶりに、この言葉が使われ、両国で再確認されました。
(Q.『戦略的互恵関係』はなぜ、中国にとって必要なのでしょうか)
垂氏:「2006年当時、小泉総理の時代が終わって、小泉総理の時代は毎年、靖国参拝をすることによって、日中関係は非常に冷えきっていました。安倍総理になられて、中国を重視しようとされたが、中国側は安倍総理を小泉総理以上に警戒していました。そうした時に中国を振り向かせるための“魔法の言葉”が必要だったんです。それが『戦略的』という言葉。その言葉を使うことによって、中国側が安倍総理・日本は本気だなと思わせる。日本は当時、『戦略的』という言葉を、日米関係しか使っていませんでした。中国にそれを使うことで、中国にメッセージを投げたことになります」
(Q.中国からすると『戦略的』という言葉を日本が使ってきたのは“アメリカと同等ぐらいの重要性を持って見ている”というサインにもなるし、そこに“お互いの恩恵がありますよ”という意味が含まれますか)
垂氏:「もちろん日米は同盟関係ということで、本質的には異なるものですが、安倍政権は一番最初に中国を訪問したことから分かるように、中国を重視しようとしていました。中国を振り向かせる必要があった。当時の事務次官の谷内次官は、まさにそういう戦略的な発想ができる方だったので、私は提案させていただきました」
(Q.今も日中間は様々な問題を抱えていますが、そういった問題も戦略的互恵関係を確認していくことによって解決につながっていきますか)
垂氏:「まさに、日中関係の非常に厳しい状況が、この1~2年続いていた時に、もう1度、大きなフレームワーク・位置付けを決めることによって、より具体的な問題までつなげていく必要があるということ。例えば、今年の日中平和友好条約締結45周年の記念レセプションの時に、私の方からスピーチで『今こそ、ここに戻る必要がある』ということを改めて述べました。それに対して、王毅外相が非常に高く評価しました」
(Q.日中の環境で、もう1つの視点から見たいのですが、米中は、世界の道を大きく左右することになってますが、日本はどこに位置したらいいでしょうか)
垂氏:「人によったら、正三角関係という方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそれはやっぱりおかしいと思います。日米は同盟関係ですし、中国とは政治体制・社会体制が異なるので。ただ、中国からすれば、日本はアメリカに追随して、アメリカしか見えず、日本が見えない。こういうふうに見えていることが、なかなか日本がこの三角関係の中で、役割が発揮できていない現状だと思います。私がベストだと思うのは、日本がしっかり見えるという場にいること。日米同盟関係も大きな役割を発揮しますし、日本も貢献ができると思います」
(Q.戦略的互恵関係という、ある種、マジックワードの概念のもとで、フレームワークというものを大事にする国であることを理解して、日中関係を見直すべき時に来ていますか)
垂氏:「大事なのは、具体的な問題に、今後は応答していくために、日中それぞれの実務レベルで、しっかり努力していくことだと思います」
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