夜明け前の東京湾。重さ約3万トンの大型船に乗り込む一人の男性がいた。小型船から縄ばしごで登っていく。
山高帽にスーツという独特の装いが目を引く。実はこの人、「水先人」という東京湾の仕事人である。
耳慣れない職業だが、東京湾で大型の船を安全に運航するにはなくてはならない存在だ。
船に乗り込んだのは甲田敏明さん71歳。ベテランの水先人である。まず向かったのは操船を行うブリッジ。
水先人は東京湾の状況を知り尽くしていて、船長の了解のもと操船の指示を出していく役割を担う。
実は東京湾は浅瀬や岩場が入り組んでいて、安全に船を着岸するには高度な技術が必要なのである。
そのため、1万トン以上の船は水先人を乗せる義務がある。水先人は国家資格が必要なプロフェッショナルで、船会社の要請を受け、船が安全に港に入れるよう船長を助けていく。
今回、甲田さんが乗り込んだ船は自動車運搬船で午前中に港に入り千台以上の車を積む。
到着予定時間は午前6時35分。遅れることは許されない。さらに300mの船を1センチ単位で接岸させるという繊細な作業でもある。
ベテランの甲田さんは、かつては巨大タンカーの船長として世界中を航海していた。
各地の港に出入りするたびにその先々で水先人に助けられ、定年後にその恩返しをしたいと資格を取り、56歳で水先人になった。「現役の頃、行く先々で(水先人)にお世話になって育ててもらったので、そのお返しは絶対やっておきたい」と甲田さんは語ってくれた。
操船の指示を見ていると、甲田さんは英語と数字で指示を出していた。船の船長は日本人。でも乗組員は外国人。
意思疎通は全世界共通の方式で指令を出のだ。数字は舵(かじ)を切る角度のことだ。
東京湾の入り口から目的地の横浜の港まで船を誘導するのだが、難しいのは港に入るための方向転換。
東京湾を出て行く大型船の航路を横切る必要があるからだ。大型船の扱いは極めて難しく、たとえば甲田さんが乗っている全長約200mの船が、時速20kmで航行していた場合、止めようとエンジンを切っても実際に船が停止するのは約4キロも先になってしまう。
大型の船はすぐに方向を変えたり止まったりができないのだ。
やがて方向転換する場所が近づいてきた。その時、甲田さんが船長に声をかける。
「ちょっと潮に乗っていますね。」甲田さんに緊張が走った。
スピードが出過ぎてしまうと曲がり切れず、大きく航路を外れてしまう。わずかな油断も許されない。
甲田さんは進行方向を見ながら旋回する角度を測り始める。
決断の瞬間が近づいてきた…
(2023年11月22日放送「news every.」より)
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