今なお、待望論が沸き起こる田中角栄元総理が亡くなって、きょうで30年です。日中国交正常化を成し遂げた田中氏ですが、その正常化交渉をめぐる貴重な肉声が見つかりました。
TBSの倉庫に眠っていた、およそ50年前のラジオの取材テープ。ここに、日中国交正常化を成し遂げた田中角栄元総理の肉声が残っていました。
田中角栄 元総理
「私は日中両国が正常な状態になることが望ましいということは、日本人全てが考えていると思います。そういう機運も熟してきたと思います」
1972年7月、日本列島改造論を唱え、第64代内閣総理大臣に就任した田中角栄元総理(当時54歳)。田中元総理がまず取り組んだのが、日中国交正常化でした。
就任からわずか3か月で現職の総理大臣として初めて中国へと向かった田中総理。
記録映画(北京空港 1972年9月25日)
「周恩来首相と田中首相の間に初の固い握手が交わされる」
歴史認識や戦争賠償、尖閣諸島など、今も残る日中関係の論点が山積する中、交渉は難航を極めました。その交渉記録は長年、「極秘」と秘密指定されてきましたが、会談を前に行われた交渉をめぐる両首脳の肉声を記録した音源が見つかったのです。
周恩来首相(当時)
「双方が努力し十分に話し合い、小異を残して大同を求めることで、中日国交正常化は必ず実現できるものと心から信じています」
“小異を残して大同を求める”国交正常化を優先し、尖閣諸島の領有権問題などを「棚上げ」するとの主張を口にした周恩来首相。一方、その後の交渉を厳しいものとした戦争責任を巡る田中総理の発言も残されていました。
田中角栄総理(当時)
「過去数十年にわたって、日中関係は遺憾ながら不幸な経過を辿って参りました。この間、我が国が中国国民に多大なご迷惑をおかけしたことに、私はあらためて深い反省の念を表明するものであります」
中国側は田中元総理の「ご迷惑」という言葉に、謝罪の言葉としては余りにも軽すぎると反発しましたが、その後、4度にわたる首脳会談を経て、日中国交正常化は実現しました。
総理在任2年5か月。金脈問題などで辞任した田中角栄元総理ですが、今も高い人気を誇っている理由について、専門家は「国民目線の政治家だった」と表します。
上武大学 田中秀臣教授
「今の日本にとって、必要な政治家だと思います。強いメッセージ性と、国民の生活に何が足りないか、そういった問いに答えてくれる政治家」
田中角栄 元総理
「自由民主党がつぶれても、やむを得ん。自由民主党なんて潰れたって、日本が潰れなければいいんだ。政党の看板の掛け替えはききますが、国家民族の看板の掛け替えはきかない」
田中氏が亡くなってきょうで30年。時代は変われど、国民に寄り添う政治が今も求められています。
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